第3回リフラブ紀行 99年5月14日(金)〜15日(土)

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目次


また来てしまった

もはや、また来てしまったぜ、という感慨はなくなってしまった。
福岡空港の到着ゲートを抜けたところの高速バスのりばの活気は、私にとってかなり当たり前な景色になってしまっている。沿線住人になって久しいが降りたこともない入曽だの仏子だのに比べると福岡ははるかに近い存在なのだ。

すでに今年3回目の福岡。これもみぃんなリフラブのせい(ウソ。自業自得デス)。前2回はリフラブがらみの駅名地名を追いかけてばかりだったけど、今回は明確に西鉄宮地岳線の電車の写真を撮るという目的も含んでる(ヒマでしたら腕木 信の西鉄関連サイトも観てやってください。全国的にも貴重なサイトなんで;宣伝)。

リフラブ2関連では「開」「犬塚」(ともに西鉄大牟田線の駅)がまだ未達で、ドラマCD関連では「小森野」を狙う。小森野は宮の陣の丸星中華そばセンター最寄りバス停(西鉄バス)だ。
しかし前2回で一応の完結を見たので今回はゆっくりと福岡めぐり(=飲み倒れ)ができるはずだ。あてがあるでもないが舞鶴駅のモデルも探しておきたい。そんなのんびりムードの幕開けである。

はっきり言って、今回はリフラブ紀行というよりも「旅の写真館」のほうがふさわしい内容です。また、ローカル地名が解説もなしにポンポン出てきますがお許しください。

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常人は福岡空港から天神までバスには乗らない

ここ福岡空港は地下鉄で博多へは5分、天神へも15分もかからない超便利な立地。付近は一般の住宅が並んでる。東京に住む私にとって、空港=海上という先入観が強く、着陸寸前の飛行機が頭上をかすめていくようなド迫力が楽しめる空港には大変な魅力を感じてしまう。第一目的は大牟田線の駅だが、ここは一発飛行機の写真でも撮っちゃろうかとターミナルから北に向かって歩き出した。

1999年5月20日から国際線ターミナルが現ターミナルから分離し、滑走路を挟んだ反対側(西側)に移設されることになっており、空港敷地の最外郭には連絡バス用の道路が新設されていた。ここを走る連絡バスはやはり西鉄バスになるのだろう、などと考えながら滑走路北端にたどり着いた。が、待てど暮らせど着陸機は飛んでこない。あきらめて、ここから天神に行くバスの最寄り停留所である豊2丁目に向かった。景色の見えない地下鉄よりも街が見えるバスのほうが好きなのだ。

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桜咲駅が天神駅だったなら、デートの時間は守られまい

10時38分のほぼ定刻にやってきた32系統のバスは博多〜蔵本〜天神〜西公園行きで、博多駅から天神にいたる一番遠回りをする系統。なんでこれが博多駅東側の志免やら宇美やらからの系統なのだか何回乗っても西鉄バスはよくわからない。しかも同じ系統番号でも終着近くで行き先や経路が微妙に変わる。今でこそだいぶ慣れたが、それでも天神バスセンターでもらった「福岡都市圏西鉄バス路線図」を見ながらでないと恐ろしくて乗れない(実はこの図ですらよくわからない)。

西鉄バスの天神にはいくつもの乗り場降り場があるので、天神経由というだけでは天神のどこに連れて行かれるかわからず、安心出来ない。まして「天神のバス停で待ち合わせ」だけでは永遠に出会うことは出来ないであろう。ちなみに、このバスの運転士さんは天神に着くときに「急行電車は乗り換え」と放送していた。この「急行電車」とは福岡市街地を縦横に走った路面電車に対して大牟田線を指したもので、もちろん案内図などには載っていない独特の言い方である。昔は西鉄大牟田線よりも「急行電車」のほうがとおりがよかったと聞く。

結局、地下鉄に乗ればわずか15分のところを50分近くかかり、しかも天神ではだいぶ北側の「天神郵便局前」バス停で降ろされたので西鉄福岡駅まで遠い遠い。11時30分の大牟田行き特急に乗るつもりでいたのだが、時刻は11時26分。最初のターゲットの「開」は西鉄大牟田線の柳川よりもさらに先の、1時間に2本しか電車がこないローカル駅なので、これを逃すと30分のロスだ。いやもう走った走った。フタタの前で信号待ちになったのでこの間によかネットカードを準備してさらに走る走る。自動改札機を抜け、5番乗り場の特急に何とか転がり込んだのが発車数十秒前だった。

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開(ひらき)

かくして予定通り11時30分の特急に乗れ、すっかり通いなれた道を一路「開」へと向かう。この「開」、リフラブでは第2作でチカをさらおうとして哲哉にぶっ飛ばされた一味の薬院開のこと。腹いせに哲哉を刺したのは山本伸治であり、ほとんど存在感の見られない人物である。しかしながら、西鉄開駅が名前のルーツである以上は押さえておきたくなるというもの。ちなみに「山本」という駅は筑肥線にあるが、これは違うでしょう、西鉄じゃないし。
もうひとつの「犬塚」は画面はおろか声すらも出てこない。倫太郎やちづるの勤める高宮ソフトウエアの社長であったが、4月の役員人事で会長に就任する人物だ。詳しくは用語辞典を参照していただきたい(宣伝)。

45分ほどで柳川に到着。ここで大牟田行き普通に乗り換えだ。西鉄大牟田線は久留米を過ぎると単線区間が散在する。柳川駅から開駅までの5駅間もそうである。駅での上下列車の行き違いを西鉄の車内放送では「離合(りごう)待ち」と言っている。「列車行き違い」というのが一般的だが旧国鉄線区やそれに習う鉄道では「交換待ち(保安装置の一部である通票を交換する、ということの名残だろう)」というところもある。離合とはすれ違いのことを言うが、それほど一般的用語とは思えない。利用者のどれほどがこの言葉を聞き取れているのやら。
12時過ぎに開駅に到着。あたりはその名のとおりひらけてます。

 

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困ること

こういう旅行(乗りつぶし)をしていて困ることはとにかく「恥ずかしい」ことだ。何がって、駅員さんに「何しにきたんだ?」と思われることが。親切にも折返しに使う上り列車はあと数分で到着する。開駅にきた目的はただ駅舎の写真を撮るだけ。用事は数分で済むので列車を見逃す手はない。しかしさっき降りたのにすぐ切符を買って電車に乗る、という行為が(相手はそんなこと思ってもいないのに)自意識過剰にさせる。堂々とすればいいのに小心なもんだから、「あれぇ?待ち合わせのあいつ来ないじゃん。いいや、戻っちまおう」などという狂言を演じ、余計に不自然さ極まって「やんなきゃよかった…」と後悔するのが決まりなのだ。
で、今回も見事その愚を繰り返してしまいました。顔から火が出るほど恥ずかしかったです。

ばかばかしい汗をかきながら福岡行き普通に乗り、10分ほどで柳川に到着。第1回リフラブ紀行にも書いたが、ここでこの電車は下り普通・特急の離合と上り特急の待避のため20分近い長時間停車(バカ停;また言っちまったぃ)する。よし!この間を使って昼飯だ。

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え〜?そうなのぉ

実は切符は柳川までしか買ってない。前回の紀行ですでにバカ停(何度もすみませんね、品がなくって)があることを知っていたからだ。目指すはラーメン屋だ。なんたってラーメンよ、ラーメン。
おお〜、あったじゃん。あんまりパっとしないけど駅から遠くないところにある赤暖簾をくぐった。「ラーメン!」といえばトンコツが出てくるに違いないと信じきっていたのだが、カウンターの上にあるメニューを見て少し凍ってしまった。みそラーメン、正油ラーメン、とんこつラーメン…と書いてある。

なんで? 柳川では「ラーメンといえばとんこつ」にならないの?ちょっと期待感が小さくなったような気がしたが、店のおやじさんに「ラーメン」とだけ頼んでみる。と、みそか醤油かとんこつか、と聞き返された。
え? 期待感がさらに縮小するのを感じつつも気を取り直して「とんこつ」と答えた。すると、店のおやじが手にしているのはレトルトっぽいとんこつのダシのパック。 え? え? 柳川ってじっくり煮こんだとんこつダシのラーメンって食べないの?
結局、東京でも手に入るマルタイの棒ラーメンと同じ味のものを500円も払って食って、これは発見というかなんというか、とにかく妙な気分にさせられてしまった。
もちろんかた麺なんて言うゆとりはなかったわよ…などと頭の中の言葉遣いまでヘンになって、柳川駅で停まっているさっきの普通列車のもとにトボトボと歩き出していた。

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犬塚

柳川駅に戻ると、ちょうど福岡行き特急が出発した後だった。普通列車も後を追ってまもなく発車。
次の目的地は犬塚。これでわかっている範囲のリフラブ登場人物はすべて網羅することになる。この時点でリフラブ2を14周している(現在15周完了)から、多分知らない奴はいないだろうと第1回目よりは自信を持って言える。

柳川の隣は矢加部駅。相変わらず乗降客はいない。今日はここには用はなく、そのまま電車に乗りつづける。犬塚ではできれば電車を降りずに駅名板だけを撮影したかった。ここも次の電車まで30分待たされる。西鉄大牟田線は全線に渡ってきれいな30分パターンのダイヤになっているのだ。

ほどなく犬塚に到着。でも駅名板を車内から撮影することは出来ず、下車することになってしまった。切符も降車覚悟だったので犬塚までしか買ってない。改札口を出て、犬塚駅の駅舎を撮影した。

 

リフラブ紀行をしていると、別にそこになにがあるでもないのでボ〜っと駅勢圏を眺めていることが多い。東京では文献すら見かけない西鉄大牟田線の生の景色が感じ取れて、これはこれでなかなかに有意義である。業界の空気はこうして私の頭脳に蓄積されていく。
福岡行き特急が1本通過していった。柳川でバカ停していた普通もまもなく追いかけてくるに違いない。

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舞鶴駅みっけ

実は舞鶴駅には目星がついていた。作中の舞鶴駅はかなり小さな駅舎をしていた。駅長がいる、とはるかから聞いて驚いたから鮮明に記憶している。近年の鉄道は各駅に駅長がいることは意外と少ない。ひとりの駅長が複数の駅をまとめて管理し、それぞれの駅には一般職が勤務していることが多いのだ。このようにして駅長職の集約を図り人件費抑制に精を出しているのがこの業界である。とはいえもともとが競争のない業界だからそこで働く人たちもかなり緊張感の欠如した表情をしている(おいおい…そんなこと言っていいのかよ)。だからといってポッポヤに関して業界人が素直にうなづけるとも思えない。

ちょっと脱線してしまったが、舞鶴駅のモデルは久留米の隣、花畑駅であった。端間・味坂・宮の陣・櫛原と来たのだから花畑が怪しい…大牟田行き特急の車内から観察していたのだが、駅舎に近いところにある車道踏切と平屋の駅舎を(裏側からだが)見たとき、まず間違いないと確信したのだ。
犬塚から乗ってきた福岡行き普通を花畑で降り、反対側のホームに停車中の甘木行きワンマンカーの写真をバシャバシャと連写した。この駅には車庫があって、宮の陣から甘木を結ぶ甘木線の2両編成のワンマンカーが多数体を休めていた。これくらいの規模の駅なら駅長職がいるかもしれない。

   

ホームと改札口は構内踏切で結ばれている。改札口を出、振り返るとそこにはまぎれもない舞鶴駅の姿があった。ナッキーは降りかけた構内遮断機をくぐるように電車に乗って家に帰ったのだろう。舞鶴駅はかなりローカル駅っぽかったが、実際のこの駅の踏切はかなりの交通量で結構危険だ。

マリーが教えてくれたように、実際の花畑駅にも高架化計画があって、これが完成すると久留米から津福まで連続立体交差となる。すでに工事は仮線の更地化まで進んでいた。
舞鶴には急行は止まらないが、花畑には朝の一部を除いて急行が停車する。舞鶴駅を思い出しながら数回シャッターを切った。

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やっぱこうでなくっちゃ

柳川での納得のいかない昼飯が胃を刺激したのか、またしてもラーメンを食いたくなってしまった。で、駅に程近い「大龍」で第2回目の昼飯(また太っちまうよ…。とんこつラーメンって太ってくださいっていう食い物なのね…)。赤い暖簾の隙間からただようとんこつスープの匂い。この店は当たりだ!直感的に思った。

店は小ぢんまりとしていてカウンターしかなかった。ちょうど混雑がひと段落した後のようで、前の客の食べあとを見習っぽい若い兄ちゃんが片付けていたのだが、この兄ちゃん、どうしたことかまるで殴られたようにまぶたが腫れているのだ。奥から出てきたもう一人の兄ちゃんが調理をしてくれるようだが、この兄ちゃんの風貌も「ぶっこみのなんとか」のキャラっぽい。いったいこの二人を取り巻く環境には何があるのだろう。ラーメンが出てくるまでそんなことを考えていた。

それはさておき、うまい!! やっぱこうでなくっちゃ。 帰京後、とんこつラーメン味比べホームページを見てみたら「特選」になっていた。う〜ん、本場とはいえ、味のバラツキは結構あるようだな(東京だからって江戸前寿司がどこでもうまいとは限らないのと同じだろう)。

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小森野

しつこいようだが、一応説明しておくと「小森野」とは、ドラマCD「この空をいつか見たように(99年3月21日発売 BANDAI MUSIC)」で緋色館の住人たちが夏のバカンスを楽しむ高原の名。実際の地名の西鉄バスの停留所「小森野」には、電車で宮の陣に出てそこから歩いてもよいが、久留米市内からの西鉄バスで行くことにする。
久留米市内の西鉄バスほとんどの系統がJR久留米駅から出発し、西鉄久留米駅を経由して各地に散っていく。小森野を経由する鳥栖行き(行き先番号10番)も例外ではなく、だいたい1時間に1本ずつ走っている。バスはガラガラで、市内をうろうろしたあと国道3号線で筑後川を渡って数分で小森野に着く。別にここになにがあるというわけではない。

丸星中華そばセンターがあるくらいで、あとは広々とした平野。もちろん高原ではない。バス停を数枚撮影してすぐに折返す。鳥栖からやってきた久留米行きもやはりガラガラであった。

西鉄久留米駅に戻ったときにはすでに夕方5時を過ぎていた。このあと、西鉄バスの行き先がことごとく信愛女学院なるところになっているのでそこまで往復してみた。その学校が百道大学か桜咲女子短大のモデルになってそうな気がしたからである。残念ながらハズれ。この分のバス代が無駄になってしまったが、バスの営業所で売っていたハローキティと西鉄バスチョロQセットのバスカード(カード3000円とチョロQ2台)計4000円也を購入したのでまたしても使うアテのないバスカード残高が膨れてしまった。

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桜咲駅のモデルはこっち側だった

久留米から急行で福岡に戻る。陽は傾いて撮影も難しくなったので、これにて紀行もおしまい、といった心持ちだ。しかし電車に揺られながら、さきほど久留米駅のバス営業所で衝動買いしたバスカードを少しでも消費すべく、西鉄電車と併走していてかつ天神へ(乗り継ぎながらでも)向かうバス路線に乗り換えられる駅を探した。福岡地区の西鉄バスは逆三角形に路線が伸びていて、西鉄電車に並んで走る路線はほとんどない。井尻駅か雑餉隈駅か悩んだが、駅舎がモダンでいつか降りてみようと思っていた井尻に決めた。

今日は平日なので夕方の駅前は学生さんとか買い物がえりの主婦とかで結構ごった返している。バス路線は井尻駅から数分西に歩いた「井尻」というバス停から多く走っている。ここからは少し遠回りだが天神まで行く系統と大橋駅止まりの系統が走っている。「西鉄久留米」というと西鉄の久留米駅前なのだが「井尻」といっても井尻駅前ではないところが油断できない。天神行きは本数が少なく、「西鉄大橋駅」の行き先表示を掲げたバスがやってきたのでこれに乗った。

バスに乗っていてふと疑問が沸いた。このバス、大橋駅のどこに入るのだろうか。第1回目リフラブ紀行の時にもこの駅で降りたが、あのときはバスロータリーなどなかった。しかしデザインは桜咲駅そのものであったので、バスロータリーは設定の都合でデザイナーが追加したのだろうと思っていた。が、実際の大橋駅東口にはリフラブのようなバスロータリーが存在した。もちろん駅のデザインは桜咲駅とうりふたつだ。
第1回目では西口を撮影しただけで満足してしまったのだ。まさか高架駅のデザインを東西で同じにしてあるとは。てなわけで用語辞典用に駅の写真をパチリ。

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展望風呂が待っている

後は今夜の宿へ一直線(でもバスで)。渡辺通2丁目にあるセントラルホテルフクオカは今回で生涯3回目の利用だ(なんとかのひとつ覚え)。早く風呂に浸かってゆっくり手足を伸ばしたい…。セントラルホテルフクオカの13階展望風呂の前でイスに座って文庫本を読んでいるアルバイトのおばちゃんの姿がなぜか強烈に頭に浮かんでいた。

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二日目(その1)

あけて5月15日は西鉄宮地岳線の写真撮影に一日費やした。天神から西鉄バスで貝塚まで行き、撮影を終えて、貝塚に戻ってきた。撮影中の昼飯は香椎花園前駅近くのすし屋で食ったが、醤油がドロっとしていて一瞬ソースのように見えた。話には聞いていたが現物を味わうことができ、大変に結構な思いがした。
帰りも西鉄バスに乗った。来たバスが福岡タワー南口だったので、久しぶりに福岡タワーにでものぼってみることにした。

福岡タワーの展望室は地上123m。実にすばらしく福岡市内が一望できる。海側には能古島や志賀島があって、室見川では潮干狩りを楽しむ人たちがたくさんの水鳥のように見える。東側には福岡ドームとホテルシーホークが建っている。
初めて来たときに比べて足元にビルが格段に増えた。当時はタワーから福岡ドームを遮るようなシーホークは当時なかったし、地上を走る西鉄バスから見る景色も荒涼とした埋立地だった。この街はどこまで成長しつづけるんだろう。リバーヒルソフト社のある福岡SRP(ソフトウエア・リサーチ・パーク)センタービルもこの中にある。

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二日目(その2)

眺望を堪能したあと、辺りを適当に散策してみることにした。この辺一帯を百道浜と言うのだが、ハッキリ言ってバブルが浜なので ”桜咲のバブルの塔” 高宮ビルのモデルがいかにもありそうだからだ。しかしそれっぽいのは見つからなかったので天神に戻ることにした。
飛行機までの時間に1軒くらいは屋台で飲む時間があるのだ。天神方面行きのバス停を探してウロウロし、医師会館前というやたらと天神行きのバスが出ている停留所を見つけた。ふと振り返るとビルの1階にローソンがあり、見上げるとSRPセンタービルだった。

せっかく来たので記念にトイレだけ借りて、やってきた都市高速 天神経由 六本松方面行き(正確な行き先は失念)のバスに乗り込んだ。

この系統のバス、医師会館前バス停から南下した早良区南部に行く路線なのにわざわざ天神に出、コの字に福岡市内を走っていく。路線図から推測すると本来は天神発早良区南部方面(と一口に言っても行き先はものすごく存在するが…)系統らしくて、始発バス停が便によってマチマチ(でも必ず天神は通る)というものらしい。もちろん素直に南下して早良区南部を目指す路線も存在する。

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もうしばらくは来れないから

午後6時すぎに天神に着いた。まだ屋台が開く時間ではないが、準備中とも営業中ともつかないのが1軒あったのでそこに入る。バイト前の暇つぶし&夕食にラーメンを食べている若い子2人と常連っぽいおっさんが居た。屋台は親父さんと奥さんが切り盛りしているようで、奥さんのほうに焼きモノ数本と焼酎を頼む。焼酎はもうロックの季節だ。

羽田行きの飛行機は午後8時30分ごろに離陸だから天神をその1時間前には出たいところ。でももうしばらくは来れないから、いつも行く屋台に少しだけ寄ることにする。
最近、大手家電販売店が東京から進出してこの屋台近くの西鉄の高架下に収まっていて、池袋でお馴染みのテーマソングが屋台にまで聞こえてくる。天神を発つ時刻まで、あと30分となかったが暖簾をくぐった。
土曜コロッケをついばみつつ焼酎を飲んでいると、女のコがひとりで入ってきた。私の隣にいる二人組のおっさんが彼女に話し掛けたところ、ハーレクィーンエアというチャーター専門の航空会社の客室乗務員の面接にはるばる神奈川から来たのだという。そういえばSRPでそんな面接をやってたっけ。彼女は面接を終えたら必ずこの屋台にくるつもりだったとも言っていた。
二人組みのおっさんたちは彼女を不思議そうに見ていたが、まさか天神の屋台で関東人に挟まれて飲んでいるのだとは思いもつかなかっただろう。

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