リ「プ」ラブ紀行 in korea 2002年07月12日(金)

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目次


テーハミングッ

ワールドカップの応援コール「テーハミングッ(大韓民国)」が有名になった韓国へ。
”リフラブのふるさと”福岡を飛び超えて、”リフラブ輸入国”韓国までやって来た。ハングルでリフレインラブはリ「プ」レインラブと発音されるので、今回はリプラブ紀行と名乗ろう()。正確にはリプレインロブの方が近いかな。ラの発音は「あ」の口をして「ろ」というとそれらしく聞こえる。

実は、今回の旅は数年前に発売された韓国版リフラブ「1」を買うためだけのものではなく、旅そのもののキッカケは近所の韓国料理屋で晩飯を食べるようになった事にある。私は以前から韓国に興味がありハングル文字もそれなりに解読(幼児が覚えたての文字をなぞるが如き遅さ^_^;)できるようになったが、なかなか訪韓のチャンスがなかった。

この3月から仕事帰りに寄り始めたその韓国料理屋では、ちょうど常連による韓国旅行が企画されたてホヤホヤだった。初めてそこのカウンターに座ったとき(今の私の指定席はもう少しキッチンに近い)マスターは「もう少しタイミングが早ければ一緒に行けたのに」と言って来たが、今日入ったばっかりの店なのにいきなり常連たちと一緒に行けるかいな、などと心の中で思った。結局その話は一度ポシャリ改めて夏以降にしようということになって、梅雨の入りにはすでに常連と化していた私は、自動的にその一味に組み込まれていたのだった。

で、実現した韓国旅行の参加者は5人。建設会社の社長、公立病院の勤務医、土建屋の現場責任者と店のマスターと私。一見何の集まりか絶対にわからない、どことなく西村京太郎の鉄道推理小説のような面々の旅行となった。
ちなみに社長以外渡韓経験無し。特筆すべきはマスターで、この人韓国料理屋でマスターを4年もやってるくせに韓国行った事がないという店最大の謎の人物である。

とまあ、そんな面子といっしょに二日間、コリアハウスで伝統芸能を見たり(サムルノリはすごいです。首がモゲそう^_^;)、北朝鮮が見える統一展望台に行ったり、キーセンハウスで危うく女性を買う寸前まで行ったりしながら、最終日の今日、私はようやく開放されて一人旅のよさを謳歌しているわけである。

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キーセン

とにかく昨日までは、ツアー旅行に湯水のごとくオプションを付けまくって超絶に贅沢な金の使い方を強いられていた。韓国に着いて早々、足代飯代で4万円徴収〜、二日目の昼にして早くも足が出たから再徴収〜で、あたしゃ財布の中身がスッカラカン状態。
6万円もの大金はたった二日にして、ガイドと運転手とあんまり見たくもなかったコリアハウスでのショーとあんまり食いたくもなかった韓定食、他で食えば同じ味でもっと安かったはずのカルビグイ(カルビ焼肉)とかネンミョン(冷麺)とか、とどめは行きたくもなかったキーセンハウスに消えていった。
もっとも、今にして思えば私の今までの海外旅行からは想像も出来ないコースだったので、これはこれでいい体験になった。

キーセン・・・「妓生」と書き、もとは朝鮮王宮の宮妓学校生徒の略だそうだが、今では簡単に言えばレンタル恋人である。王宮のお偉方の前で芸を見せたり(きっと、夜のお勤めもしたり)していたのが、日本統治時代(韓国人のいう日帝時代)から娼婦の色合いを強め、バブル期の日本人が性欲でもって蹂躙しまくって、伝統もクソもなくなり今に至っているという話だ。
昔勤めていた会社に韓国まで女を買いに行く、と行っていた奴がいたが、それはこういうことなのかと、私ら五人衆からの指名を待っている20人ほどのキーセンを前にして気がついた。
これってもしかしてヤッセーヌ(言わずとしてた、プライムガールで語られる「極上なる乙女」の名)韓国版?とか、私の隣にピッタリ体を密着させてクソまずい料理を「ア〜ン」してくれるチマチョゴリ姿の彼女を見て思ったりもしたが、とにかく飯だけ食ってサッサと逃げてきた。ふぅ〜、性にあわんよ。

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求む!庶民の味

こんな具合の韓国旅行も、ようやく自分の思い通りに歩けるようになり気分は今日の天気のように晴れやか。同行者とは夕方に空港のロビーで落ち合う事にしてホテルを飛び出した。そしていきなり飛び込んだ先は庶民の味ソルロンタンの店だった。
ソルロンタンとは牛骨を徹底的に煮込んだ白いスープにコショウ、塩、ネギをたっぷり入れた庶民スープだ。カタコトのハングルで注文すると、すぐにお店のアジュマ(おばさん)がペチュキムチとカクトゥギ(白菜キムチとカクテキ)、それにステンレス製()の箸とスプーンを私のテーブルに置いた。このアジュマは私が日本人だということには当然気づいてるんだろうなぁ、顔が似てるのに微妙に違うもんなぁなどと、店の中をキョロキョロと見回しながら思った。

程なくしてソルロンタンが出てきた。基本的に煮込んだスープをよそって持ってくるだけなので時間もかからない。スープはステンレス製の容器に入ってきた。韓国では陶磁器はほとんど使われてない。この理由を韓国人に聞くと豊臣秀吉の朝鮮出兵にまで話がさかのぼるからやめた方がいいと思う。
ソルロンタンには白いご飯もいっしょについてくるのが普通だが、ステンレスの蓋付きのまあるい容器に入って出てきたため、それがご飯だとはわからず少々あせってしまった。
この白く濁ったスープにご飯とペチュキムチとカクトゥギ(白菜キムチとカクテキ)をじゃんじゃん放り込んでスッカラッ(スプーン)でいただく。韓国では器を持ち上げては行けない。むしろ口のほうを近づけた犬食いのほうがまだ礼儀正しいとさえ言われてるだそうだ。
そしてお味は、うんま〜い!!日本でも食えるカルビグイとか生ものばっかりの韓定食なんて目じゃないぜ!しかもキムチ食い放題じゃん!!わぁい大満足〜!!!ちなみにお値段のほうは約500円。う〜ん、もっと食べ物は安いのかと思ってたけど、日本とあんまり変わらないみたいだ。

さぁてお次は屋台でトッポッキ(甘辛餅)やティギム(てんぷら)でも食うか!と思ったものの昨日までの浪費三昧のせいで懐にはあと5000円ほどしかない。ソウル市内からインチョン国際空港まで、リムジンバスで約1000円。もしもリフラブを見つけたりしたときのために金は残しておきたいしなぁ、でもこれでも足りないだろうなぁと、いきなり金銭感覚が今時の高校生以下になってしまい、やむなく貧乏旅行モードにチェンジした。あんまり変わらないけど。
まぁソルロンタンで腹も膨れたし、この炎天下を歩くのだから水をガンガン買うだろうし、貧乏モードで行こう。

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韓国版「主人公1」

ホテルでもらった「エスコート ソウル」というソウル市の地図によれば「韓国の秋葉原」竜山電子商街は、韓国国鉄でソウルから南にふたつめのヨンサン(竜山)か地下鉄4号線のシンヨンサン(新竜山)から歩いて10分程度のようだ。
私が宿泊したソフィテル・アンバサダーホテルの最寄駅は地下鉄6号線のトムデイック(東大入口)駅。隣のチュンムロ(忠武路)で4号線に乗り換えるのが簡単そうだが、せっかくなのでナムデムン(南大門)とかソウル駅のあたりをブラブラしてから、国鉄で行く事に決めた。

ソルロンタン屋さんから駅までほんの数分。屋台が2軒ほど出ていて先ほど触れたトッポッキやティギムなんかをおばちゃんがお客さんと話しながら作っている。そのすぐ脇にポッカリと口をあけた地下鉄入口がある。
地下鉄と書いてチハチョルと読む。漢字の単語は読み替えのパターンがある程度掴めてくると面白いように意味がわかる。もっともハングルが解読できなくてはどうにもならない。
二日間歩いてみて、ソウルの街中にアルファベットの看板が異常に少ない事に気がついた。日本など店の名前はだいたい外来語で命名されてるし、日本語表記がない看板も珍しくない。それがソウル市内では、色んな形にアレンジされてはいるもののほとんどがハングル文字である。一説には北が他国人をスパイとして潜りこませたときの対策の意味があるとか。私はてっきり愛国心からそうなのかと思っていたが、なるほど戦時国ならではの都合かと納得した(本当にそうかは知りません。でも先日、日本も大して変わらないことに気づきました。外来語の店名でもカタカナで書いてあるもんね)。

地下鉄入口  交通標識

ところで、昨日はソウルから北へ車で40分ほどの統一展望台から北朝鮮を眺めてきた。韓国は戦時国・・・簡単に言うなら敵国が首都からわずか数十キロのところまで迫っているわけである。展望台の入口には自動小銃を携えた若い軍人が二人、のんきな日本人観光客の我々には目もくれず、私たちを引率するガイドの身分証明書を確認していた。
展望台では南北関係は友好の時代にあるとしきりにPRしていたが、逆に言えばいまだ戦争状態なわけである。「戦争」は韓国の人にとって見たくなくても見えてしまうものなんだなと朧気ながらわかってきた。

川の向こうは北朝鮮

韓国は徴兵制を導入していて、年齢的には大学在学中に2年間、まさに遊び盛りに戦争に狩り出される(日本の大学生ほど遊んではいないようだが)。一定期間のご奉仕の後、復学して今度は会社という戦場に入っていく。先日の黄海での南北艦艇の銃撃戦では徴兵期間中の若者も亡くなったという。
リフラブを買った人たちがどういう年齢層なのかは窺い知る事もできないけど、少なくとも日本人リフラブファンには見えない、国民としての義務を包括して、恋に友情に駆け回ったのだろう。

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テクテク歩く

さて、ウルジロサムガ(乙支路3街)という駅で地下鉄を降り、ここからは歩いてソウル駅まで行く事にした。ソウルで日本人にも有名なところといえば「ミョンドン(明洞)」があげられるが、ウルジロはその北側。観光地っぽく見えるミョンドンよりもこの辺りの方がソウルの若者が遊びに行く場所なのではないだろうか。
ここではどういうわけか女の子同士が手をつないでいる姿をよく目にした。10年くらい前に買った「地球の歩き方」でそんな記事を見たことがあるが、本当だったようだ。私がよく晩飯を食いに寄る韓国料理屋のママ(韓国人)によると、女の子同士で仲がいいなら手をつないで歩くのは当たり前なんだそうだ。

ところで、韓国というと低俗な日本文化を一切受け付けないとかなんとか言ってる、ちょっとムカッ腹が立つ国策を採っている国だが、どうも一般人のレベルでは日本文化の波はとめようもないみたいだ。実際、映画館では「千と千尋の神隠し」が上映されてたりする。NHK衛星放送は気軽に受信できるし、むしろ日本の方が韓国の日常に疎いくらいだと思う。
ネット社会が成熟していくにつれて、規制や限定で自国の文化を守る事は意味をなさなくなってくると思うが、それはさておき欧米の音楽は聞くくせに日本のだけ低俗とするのはどういう根拠なのだろう、と思った。少なくとも昨晩ホテルで見たバラエティはどう見ても高尚なものとは思えなかったし。
まぁ、性に関する開放度は日本の方が高いようだけど。

それにしてもまぁ、車とバイクの多いこと多いこと。ソウル市内の渋滞は東京よりもひどい感じかな。運転も実に乱暴で、車という車はバンパーや扉がベコベコである。
なんていってもすごいのがバイク。日本のようにレジャーで使うとか通勤通学の足として使うのではなく明らかに運搬用車両。しかも積載量が半端じゃない。どのバイクも背負子をガッチリと付けていて、ライダーの姿が後ろから見えないほどに積みまくっている。中にはバイクの全長ほどのパイプを無理やりに括りつけて車であふれ返るを車線をひょいひょい走っていくツワモノもいる。
すり抜けるだけならいいのだが、渋滞中の車線からひょいと歩道に乗り上げてきて、歩行者お構いなしって感じにすっ飛ばしていく。まったくおちおち道も歩いてらんない。もう明らかな無法者たちである。
それら運搬用車両というと日本で第一に想像するのはスーパーカブとかピザ屋の出前バイクだけど、こちら韓国のそれはカウル付きのレーサータイプありネイキッドありアメリカンありオフ車ありの様相。オマケに後ろ半分をぶった切られて三輪車に改造されてしまったものも珍しくなくて、あああ〜、バイクがかわいそうだぁ(T_T)。

路上に氾濫する車  路上の隙間を埋め尽くすバイク

ウルジロからミョンドンを通りテクテク歩いていくうちにナムデムンシジャン(南大門市場)についた。商店街の方が有名だがもちろん知名のルーツは「南大門」(正式名は崇礼之門だとか)で、ご丁寧に撮影のために交差点に小高い丘まで作ってある。
市場といってもいわゆる場外市場で特に衣料品が異常な安さで売ってる。コピー商品もそこらで手に入るようだが、あいにく私には興味がなく、結局素通りしただけでソウル駅前に出た。

南大門  南大門市場  

韓国を古めかしく印象付けているもののひとつに間違いなく上げられるのがこのソウル駅だろう。簡単に言ってしまえば東京駅のミニチュア版なのだが、ここだけ妙に高い建物がなくていかにも大陸の駅!って感じの写真がよく出回っている。通行人のまばらさも一層それを助長しているようだが、ソウル駅近辺は商業地域でも官庁街でも企業街でもないいわば町外れ(ナムデムンシジャンの裏口)。
ソウルの人たちは基本的に地下鉄かバスで移動するので国鉄は遠くに行くときだけに乗る乗り物という位置付けのようだ(今でもキチャ;汽車と呼ばれている)。

ソウル駅

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似て非なる、非で似てる

私の今日の最大の目的地ヨンサンにはここから国鉄の電車で行く。古めかしいソウル駅の地下に、東京駅の在来線と横須賀線のような関係で地下鉄1号線と国電区間が乗り入れている。
駅は地下道に降りてすぐのところにあるが、ここには地下鉄4号線が来ていて、しかも乗り場が隣接している。国電区間は券売機の路線図にもまるで地下鉄の一部ごとくかかれている上、運賃も通し計算。施設も看板類もほとんど同じため、ジックリと文字を読まないとあらぬ方向に連れて行かれてしまう。
もっとも4号線にはシンヨンサンという駅がありそこからも歩いていけるので、そうなったらなったで問題はない。単に「韓国の国鉄の電車」に乗ってみたかっただけのことなのだ。

3日の滞在ですっかり見慣れた黄色い切符を改札機に通して体ごとトライアングルバーを押して回転させる。香港やアメリカでは全面的に採用されているが、日本でこのタイプは遊園地にあるくらいだろう。

切符  自動改札機  自動券売機と路線図
※ 地下鉄構内は全面的に撮影禁止だそうです。でも撮っちゃったんだからしょーがないじゃん(爆)。

最近、日本のような軟質扉で遮断する形の自動改札機がボチボチ導入されているようだが、切符の出てくる場所があまりに手前過ぎて、日本のつもりで通ると切符を追い越してしまう。
まぁそれはさておき、改札を抜けホームへの階段を下りようとすると、電車が発車していくのが見えた。次は何分後なのだろうと切符売り場で手間取った事を悔やんだものの、時刻表を探すまもなく次の電車が走ってきた。行き先はインチョン(仁川)行きだ。
おお〜、これが韓国国鉄の電車かぁ・・・。日本ソックリじゃん!!(写真なし。あしからず。でもソックリ)

いや正確にはこれと同じ形はもちろん存在しないのだが、なんつーか、この常磐線の古い電車(103系1500番台)みたいな切妻貫通路付前面といい、4つ扉の側面といい、東武電車みたいな屋根上のクーラーといい、どこをみても日本っぽさが感じられる。ただ、電車の横幅が日本よりも広い(3m強あり、日本のよりも約20cmほど広い)。電車は10両の固定編成で、前後にしか運転台がない。これがアメリカの地下鉄などになると、全部の車両に運転台がついてたりする。ブエノスアイレスとかインドネシアのようにモロに日本の中古電車が輸出されたところならいざ知らず、日本から物を買わない国のはずなのにここまで似てるのはいったい・・・? やっぱり民族的にも地理的にも近い両国民だから同じようなものがウケるのかなぁと漠然と思った。

これは地下鉄の電車  地下鉄の車内
※ 東京と埼玉を走るある私鉄電車にソックリですねぇ・・・。右の車内は左の電車とは別形式です

同じようなもの・・・。これはリフラブがその国で発売される重要な要素。アメリカでポケモンやセーラームーンがウケるのは、日常的な背景を全くまとっていないから、単純に作品のノリとしてヒットしたんだなぁと、想像がつく。
しかし街並みや生活感覚に多大な魅力があるリフラブがアメリカでウケるとは考えがたい。やはり似たような生活様式、文化、経済力の土地でなければ。
昨夜はソウルの山手線こと地下鉄2号線(色も緑色^_^;)で住宅街を電車の窓から眺めてみた。ソウル市内をバスタブ状に分断する漢江の南側は東京の阿佐谷や吉祥寺とか、そんな雰囲気。駅前のハデハデな看板の向こうにマンションが林立している。今回は行けなかったが、大学周辺には学生街があってガイドブックの写真も早稲田あたりと似ている。
私にとっては有名な名所や景色よりも、そこに居る連中の生活が分かるところのほうが面白い。一般的大多数の価値観がわからなくてはその国に行ったことにならないと考えているのだ。

普通の裏通り

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ヨンサン

韓国国電の数分の旅は終わり、ヨンサン駅に到着。ホームの反対側には別の方面に行く電車が止まっており、なんだか雰囲気は東京の御茶ノ水駅()。ここでなんとか電車の写真でもと思い数分、粘ってみた。
戦時国である韓国では諜報活動を制限するために撮影不許可な個所がある。軍関係はもちろんだが、以前は鉄道も厳しく撮影が禁じられていたという話を鉄道雑誌で読んだ。そのため盗み撮り的に撮影してとっとと立ち去ろうと考えていたのだが、そういう前提知識があるせいか、周囲の乗客はどいつもこいつも外国人である私を監視しているように見えてしまう。
結局そんな視線に負けて撮影は断念した。帰国後調べてみると、撮影禁止はかなりいいかげんになってきて、よほどでないと咎められる事はないらしい。それでも山間部のトンネルとか橋梁とかの破壊活動が行われそうな場所ではあまり言い顔をされないとか。
ちなみに、地下鉄の構内は全面的に撮影禁止だそうだ。なんでも有事の際の防空壕代わりも想定しているかららしい。ゲ〜、昨日いっぱい撮影しちゃったぁ(^_^;)。
ちなみに、街中では軍施設や青瓦台(大統領官邸)などの政治的設備が入るアングル以外は日本と同じようにところかまわず撮影してもほとんど問題ない。つか、それくらいじゃないとデジカメ売れないし(^_^;)。

ヨンサン駅は駅舎のつくりも御茶ノ水のような雰囲気の小ぢんまりとした橋上駅である。改札口に切符を通して外に出て、日本にもある駅売店でPET飲料を買って電子商街に向けて歩き出した。駅前はなんともすすぶけた低層の建物が多くて、この辺はあまり日本には似ていない、大陸的なムードがある。街全体が工事中という感じで埃っぽい。駅周辺にはいかがわしい置屋とかが細々と営業しているらしいが、そんなところに用事はない。
そんな中を歩き出すと、右後方に人の気配がする。大又でスタスタと歩いているのに一向に差が広がらない。一瞬だけ振り返ると背格好は私と変わらないスーツ姿の大柄な男が居た。むむむ、こいつはオレを怪しんで尾行している秘密警察員だなと一瞬考えてすぐに頭の中で大笑いしたが、電子商街近辺までずっと同じ速さで歩かれるとさすがにいい気はしなかった。
結局、その人も電子商街に向かっていただけのことで、街に入ったら姿が消えた。しかし、今までの海外旅行の中で一番緊張した(^_^;)。

さて、ようやくヨンサン電子商街に到着〜・・・。つまんなぁい!!
アキバの毒気にさらされつづけたせいか、私の頭には電気街=サブカルの巣窟という先入観があるのだが、そういう気、ぜんぜんなし。メインストリートの両脇には低層の電気屋さんがならんでいて白物家電とか電球とか電線なんかを売っている。ちょっと大き目のビルに入ってPC売り場を見ても在庫置き場なのか商品陳列のつもりなのかわからないありさま。
なんだよ、こんなくらいで韓国のアキバとか名乗るなよぉ、と正直かなりがっかりした。いや、規模ではなくて「アキバ」を名乗るならやはり萌え萌え女の子とかそういうのが街中を席巻してなくては(^_^;)。
とはいうものの電気屋さんの集合体としてはなかなか規模がある。まぁ韓国の日本橋(にっぽんばし。大阪の電気街)と大須(おおす。名古屋の電気街)の中間くらいかな。それに「韓国の秋葉原」と言ってるのは日本の旅行情報誌だし、しかも「韓国のアキバ」とは言ってないしまぁ勘弁してやろう、などと妙に寛大な気分であんまり存在しないソフト屋を覗いて回った。
  
※ 韓国の秋葉原と呼ばれる竜山(ヨンサン)地区。決して韓国のアキバではない

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探す

ソフト屋の雰囲気は、個人経営の書店の棚が全部ソフトになってるという雰囲気。店に入るとすぐに店員が声をかけてくるし、よほど万引きが多いのかなぁなどと想像してしまう。今時声をかけてくる電気関係のお店があったら日本ではまずウケないだろうなぁと思った。
ソフト屋さんの中でも日本ほど萌え萌え女の子のポスターやグッズはあまりお目にかかれなかった。マンガ文化は未だに卑下されてるというお国柄なので、おおっぴらに掲示しては良識を疑われてしまうのだろう。考えてみれば、あのようなポスターが公共のバスの横っ腹にまで掲示されているのは世界広しといえども日本だけではなかろうか。う〜ん、海外に出ると日本の非常識っぷりがよくわかるなぁ。

韓国版リフラブが発売されたのは、もうハッキリは覚えてないけど、とりあえず1998年〜1999年のことだったと思う。「ここ桜」内のコンテンツには1998年とあるものの、自分で書いといてその記憶はないし(誤記かもしれない^_^;)、「ここ桜」自体がリフラブ「2」発売後に作ったもので、韓国版を発見したのはその後だし、オマケに韓国版の発売元であったカマエンターテインメントのページには1999年当時にも「近日発売予定」とか書いてあったりして、本当の発売日が判然としない。
まぁどちらにしても3年以上も前のソフトが手に入ることはあまり期待してなかった。「ダメもと」であちこちのソフト屋と冷やかしてみるが、案の定見つからない。グルっと電子商街を回ってもとの白物屋街に出たところで、さっき入らなかった大きなビルに入ってみた。外観からはとても萌え萌え女の子っぽいプロダクツがあるようには見えなかったためさっきはパスしたのだが、せっかく韓国まで来たのだし可能性は否定したくなかった。

そのビルは5階建てで、規模はアキハバラデパートの3倍くらいはありそうだったが、主にデジカメとかPCとかの販売が多くてソフト屋はあまりない。幸いソフト屋はファイナルファンタジー等の大物から萌え萌え女の子のギャルゲーまで、いずれも日本製と思しき商品が並んでいたが、リフラブは見つからなかった。
売り場ひとつひとつは独立した商店になっていて、ソフト、ハードを問わずどこも売れ筋の重複した商品しかおいてなく、これは!と思うようなものはなかった。ましてアキバの最大の要素である「ほかになくてもここにはある」というものは到底期待できない風だった。おまけに4階以上はなぜか家具売り場になっており、これが精神的にかなり堪えて、ヨンサン探索意欲が一気に減退した。もうこのまま仁川国際空港に行ってしまおう・・・。足取りも重くビルの1階まで降り、日本でも手に入る(しかも値段も日本の方が安い)デジカメ売り場を眺めつつ、一番ヨンサン駅に近い出口からビルを出た。

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諦めちゃいけない(結果論だけど^_^;)

ソフトが手に入らなくてせめて学生街には行ってみよう、と旅行の前から考えていた。リフラブ紀行がゲームには表現されていない桜咲町を現実の街で補完しようという試み(にいつしか変わってました^_^;)である以上、唯一のリフラブ輸入国の日常に触れておきたかったらだ。韓国版リフラブ探しはまた今度、もう少し言葉を覚えてカタコトでも店の人と話が出来るようになってから出直そうと思った。
ビルから出て気分を切り替えたところで、でも最後の足掻きで入口に近いソフト屋に立ち寄ってみる。と、そこは音楽CDやDVDのお店だった。せめてお土産にソヨンウンさん(ハングル版Blue Moonを歌ってる人)のCDでも買おうかと店内をウロウロしてみた。日本でもCATVで気軽に見ることが出来るK-POPS界は、バンドやグループが結構ウケてて、一人で歌ってるにしてもバックダンサーが10人近くいたりする(バラード調の曲でもダンサーがゴソゴソとうごめいていてなかなか不気味である)。でも根本はあまり日本と変わらない。少なくとも中近東や東南アジアのヒット曲から比べればほとんど日本と変わらないと言っていい。
日本の店と同じように陳列されたCDを見つつ歩くと、やがてゲームソフトのコーナーに突き当たった。「ん?ゲームコーナーもあるのか」と思いつつ、ふと顔をあげると壁の上のほうに見慣れた寝巻き姿の3人娘が寝転んでこちらを見ていた。

ぎえ〜、「2」が売ってる〜
そんな情報全然入ってなかったが、とにかく目の前には韓国版リフラブ「2」がある。
えー、何であるんだよ。と分けのわからない感激の仕方をしつつ恐る恐る手を伸ばしてみる。うおお、確かに「2」だ。パッケージが新鮮だなぁ、このパッケージならもっと日本でも注目されたんでないかとか、でもベッドシーンを連想させるのは「ピイエス」ではご法度かなとか思いながらしばらくパッケージを眺める(日本のPC版「2」とほぼ同じなんだけど、こっちの方がよくできてる^_^;)。
    

よし、買うぞ! キャッシャーはどこだ、とキョロキョロすると、がび〜ん、そこには女の子の店員が・・・。
くっ、買うぞ、買うぞ、買うぞぉ〜
というほど大げさでないにしても、まぁ外国ということもあってちょっと緊張気味にキャッシャーに行く。商品を出すと同時、相手が何かを言い出すより早く私は「カード、OK?」と切り出した。そう、韓国旅行に行きたいと思いつつ決心できなかった一番の理由。それは言葉。
アメリカとかなら見るからに言語圏の違う私に係員のそれなりの対応が期待できるが、同じような顔つきをした相手が堰を切ったようにハングルで話し掛けてくるかもしれないことに、漠然としたプレッシャーを感じていたのだ。しかし案ずるより生むが易し。二日間身を置いた慣れもあってか物を買うときの度胸はいつのまにかついていた(黙って商品出すか指差すだけだし、チップ制度ないし、通貨単位は1円=10ウォンと計算しやすいし)。
キャッシャーの女の子も私が日本人であると分かったらしく、軽くうなづいた後にレジを打ち始め、その後は金額だけをハングルで言って来た。クレジットカードを渡し、伝票にサインすると晴れて韓国版リフラブ2は私のものとなった。感激〜 \(^o^)/。
で、買い終わった後の余裕か、まさかレジ係の女の子も、日本のリフラブファンサイトの管理人が買いに来たのだとは露とも思ってないよなぁと考えたら何だかおかしくなってきた。

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アニョンヒ ケセヨ(さよなら)

なんだかんだ言ってうまいことリフラブ紀行になってしまった今回の韓国旅行。その後、ヨンサンを離れごく普通の生活圏をウロウロと歩くうちに道に迷い、空港集合時刻が近づいてきた。なんとか見つけた地下鉄で国内線専用の金浦空港に行き、そこから連絡バスで仁川国際空港出た。このルートを使うとソウル市内−仁川空港が4700ウォン(約470円)で済む。観光客が利用するリムジンバスの約半額である。
ごく普通の韓国人が生活に使う交通機関で漠然と彼ら彼女らを眺めていると、少しでもそこの生活に身を置いた気になれた。韓国版リフラブへの心構えが少し出来たようである。()

※ もっとも、ハングルフォント化けのせいで全然プレイできません(^_^;)。

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