思い立つ
リフラブのWebサイトを作ろうと思い立ったのは、矢加部陽子編を終了し、《第1作》のような完結感への期待に肩透かしを食った気分も抜けぬうちにマリー編も半ばに来た、リフラブ2初心者の頃。
福岡は好きな街だし、遊びに行く理由にも持ってこいだと残業中に思い立ち、前日の2月5日閉店間際の傍系の旅行会社に飛び込んで特割便のキップをゲット。後は早く帰って寝ちまえばよいという臨戦体制を築いた。
翌6日。天気は上々。羽田空港を8時前に飛び立つANA243便にて福岡に着いたのは9時半過ぎ。機は北側からすんなりとランディング。これが南側からの着陸だと天神上空をとおり、春日原あたりで旋回するという福岡市内遊覧飛行が楽しめるのだがちょっと残念。気を取り直して地下鉄で天神へ向かう。
とりあえず今晩の宿を確保すべく天神地下街の福家書店へ。ホテルガイドを立ち読みして、以前泊まったことのあるセントラルホテルフクオカの電話番号をチェック。でも電話は話中、しかたなく同ホテルへ歩いて行き(渡辺通り2丁目付近にあるのだ)フロントで直接今夜の宿泊を申し込んだ。
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銀水だって福岡県
今夜の寝床を確保してホっとしたところで、おもむろにリフラブ訪問を開始。まずは三沢はるかの実家のある「銀水」村だ。ホテルから西鉄の薬院駅まで歩き、普通列車を1本見送って大牟田行き特急に乗車した。
銀水駅は福岡県最南端で西鉄大牟田線の終点大牟田駅から2つ福岡寄り。普通列車しか停まらない、しかも1時間に2本しかないローカル駅だ(それでも銀水村よりはるかに都会)。
手元にある西鉄時刻表'95によれば、新栄町で折り返せば上り普通列車に乗れる。柳川駅で乗り換えて普通列車に乗るよりも早い。ところが、いざ新栄町駅に着いてみると乗れるはずの普通列車は扉を閉めてとっとと出発してしまった。
手持ちの時刻表が古かった。次の普通列車は30分後。それを待っては時間の無駄なので、泣く泣く駅前から西鉄タクシーを飛ばす。この客はなんで銀水駅に行くのだろう、という疑問を運転手さんに抱かせつつもまずは第1ポイントの西鉄銀水駅に到着。
この付近は西鉄と並んでJR鹿児島線も走っている。銀水駅は西鉄にもJR九州にもあるが、端間、犬塚、宮の陣とゲームに出てくる以上、西鉄一本に的を絞っていた(たとえJR九州だと誰が言っても聞く耳なし^_^;;)。鹿児島線の特急つばめ号が背後を通過中の西鉄銀水駅を激写。年配の駅員さんにキップを見せてホームに入り激写第2弾!地元の高校生にヘンな目で見られつつ駅名板を撮った。
まもなくして到着した福岡行き普通に乗って目指すはヒロイン「矢加部」。この矢加部駅も普通列車が1時間に2本しかないローカル駅。今はちょうど学生の下校時刻で、東甘木駅から大量に乗りこんできた不知火女子高生に囲まれて女子高生ウォッチング状態。目の前の鈴木蘭々似の娘がかわいーなー、隣の仲良しはずいぶんケバイなーなどと思いつつ旅路を行く。
ブレザーを着た子供たちはパラパラと各駅で降りてゆき柳川に着くころにはだいぶ人数が減った。女子高生に見られつつも柳川駅の駅名板を撮った。ちなみに「柳川」松太郎氏は「犬塚」氏にかわって高宮ソフトウエア社の社長になった人物だ。
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日本一ローカルなメジャーヒロイン矢加部
福岡行き普通は柳川で15分ほど停車し上下の特急を先に通した。この付近は線路が単線な上、特急の通過待ちがあるので長時間停車していたのだ。西鉄の普通列車はこうした行き違いや通過待ちの長時間停車(バカ停;業界用語)が結構多い。
ジリジリジリ・・・と昔懐かしい発車ベルが響いて普通列車は一路福岡にむかって出発した。目指す矢加部は次の駅だ。
柳川−矢加部間たった1分の道のりなのに落ち着かない心持ちで到着を待った。ここで車掌の放送。
「矢加部では前3両の扉は開きません。一番後ろの車両からお降りください」
ぬわにぃ! 4両編成で1両しか扉が開かないのか?
先頭車両に乗っていたので放送を聞いてあわてて車内を走った。車掌は続けて言った。
「乗車券はお降りの際、車掌にお渡しください」
ぬぬわにぃぃ? 無人駅なのかぁ? 全国区のヒロインの姓となった矢加部はそんな駅だったのだ。
ほかの乗客の視線を浴びながら、しかも車掌にまでヘンな目で見られながら、とにかく最大級の目的地矢加部駅にたどり着いた。
矢加部駅は国鉄佐賀線(廃止)と立体交差するため、高架駅になっている。線路は単線でホームの全長は約40m。地元の人たちはコンクリ製の階段を上って電車に乗りこむって寸法だ。駅の周りには家と田畑が点在していて高層の建物はない。今降りたばかりの電車が豆粒くらいの大きさになって右にカーブしているのが遠くに見える。
無人のホームで蒲池駅方向と柳川駅方向に向かって1枚ずつシャッターを切り、さらに駅名板のアップを撮った。西鉄大牟田線にはこういう無人駅がいくつかあり、他には味坂駅、徳益駅が終日無人だ。矢加部駅の看板にもキップは乗務員から買えとか、降りるときは乗務員に渡せ・・・ゴウン!!ぁぅいてえ!!!
よそ見しながら歩いていたためホーム上屋の柱に猛アタックしてしまった。いくら矢加部陽子にそうしたからって・・・。不覚にも軽度の呼吸困難に陥ってしまってホームで四つん這い。いや〜無人駅で助かった・・・。
1分ほど経過してようやく落ち着き、まずカメラについた深い傷にギョッとし、浅い台形にヒン曲がってしまったメガネに落胆しながらも平静を取り戻しつつあった。カメラは幸いにも下取りに出せないほどの傷のほかは動作に異常なかったので、気を取り直して駅の全体像を撮ってから次の特急に乗るべく柳川駅に向かった。30分後の普通を待っていたのでは時間の無駄だ。柳川までの約1km、ずり落ちるめがねを手で支えながら、しかし途中で柳川名物川くだりの舟もするどくカメラに収めながら走りつづけた。
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そのまんまでない櫛原
なんとか間に合った福岡行特急の次の停車駅は久留米である。途中に犬塚(高宮ソフトウエアの前社長)駅があるのだが、ここも30分に1本しか電車が止まらないので却下。まもなくして久留米駅に到着。
ここで普通列車に乗り換えて隣の駅、櫛原(くしわら)へ。漢字は違うが久志原はここに違いない。
櫛原でホームに下りると、改札口から駅員さんがこちらを気にしているが、そのままホームにとどまり駅名板を写す。まもなくやってきた甘木行きのワンマン電車に乗ってさらに隣の宮の陣駅へ向かった。
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そのまんまじゃん、宮の陣
リフレインラブ2がリバーヒルソフト社のホームページに初登場したとき・・・。あきれかえって開いた口が塞がらなかった。百道は一発でわかった。だが矢加部と三沢は気づかなかった。しかし宮之陣ってな、いくらなんでもわかるぞオイてな感じだった。
さきほど乗ってきたワンマンの普通電車は宮の陣駅で福岡方面から分岐して甘木方面に向かう。次の目的地は福岡方面に2つ行った端間駅なのでここで乗り換え。
この区間も相変わらず30分おきにしか普通電車が走っていない。大善寺から福岡行き急行が追加されるので宮の陣駅は列車回数としては1時間に4本あるのだが、次の目的地端間駅には普通しか停まってくれないのだ。電車待ちの間、ホームの駅名板を撮影しておくことにする。
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いじわる端間・三沢・朝倉街道
なんでこんな不便なとこばっかり選ぶんだよー!
まさか東京からこんなこと追っかけて福岡まで来る馬鹿野郎がいることを見越しての意地悪ぢゃね-だろーなー!宮の陣駅で次の福岡行き普通を待っている間の偽らざる気持ちであった。
今度の普通電車で端間駅に行ったとしても、降りてしまうと次は30分の待ちぼうけになってしまう。
しかぁし!《第1作》のそれもサブキャラなうえ好みの外側にいた端間みつきさん(ビデオ屋のバイト娘)のために30分も無駄に出来ようか(こらこら)。ここでコスズルイ作戦に出ることにした。
それは、ホームの上屋からぶら下がる駅名板を電車の扉から狙い撃ちして済ますというセコいものだ(用語辞典で駅の外観が少ないのはそのせいです。ごめんなさい)。小郡駅まで行けば本数も増える。やむをえない妥協である。
なぜって?とっとと終わらせて屋台で一杯やりたかったからサ!
ようやく福岡行き普通電車が到着した。西鉄の駅名板は先頭車両の2枚目の扉付近にあることが多いようだ、ということをここまでの道のりで気づいていたので、そのような位置に移動する。端間駅、見事に成功。つぎに三沢駅、ドンピシャ!しつらえたくらい目の前に駅名板が来るなぁ。
さて、問題。全日本プロレスのエース、三沢といえば、なんて発音する? やっぱ「みさわ」だよねぇ。じゃ、はるかだって「みさわはるか」がふつうの読み方だろうに、矢加部陽子は緋色館の名前パネルをみるなり「みつさわはるか」って読んでたけど(でも神奈川県の人はみつさわ、と読めるかもしれない)。
そして朝倉街道駅・・・ありゃ、駅名板、行きすぎちった。てなわけで朝倉街道駅で下車する。
リフラブ2が店頭に出まわり、2本目のそれを開封して(だって最初の店でポストカードくれなかったんだモン。買いなおし)腰を抜かしそうになったのは朝倉街子と道子の姉妹。おいおいおいおい、ヤンマー天気予報じゃないんだから〜。
街道、「かいどう」と読んではいけない。「がいどう」と読む。その珍しさから記憶にあった駅名だ。駅名板だけをカシャリ。次の急行にて春日原駅へゆく。
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ひとぢゃなし春日原・井尻
ゲーム中で「春日原」は人名ではなく、自然公園の名前として出てきた。「かすがはら」ではなく「かすがばる」と読む。次の目的地井尻駅には急行が停まらないので、ここで乗り換え。駅名板だけをすばやく撮って普通電車に乗りこんだ。
後日見た地図によれば駅の南側に春日公園というのがあって、その中に自然風庭園があるらしい。
次の「井尻」はこともあろうに絶海の孤島の名として登場した。倫太郎が室長への出世のかわりに飛ばされそうになるところだ。制作スタッフの中に井尻在住者がいて、馬鹿にするためにそ〜したのかぁ?とも思われたが、現実の井尻駅はきれいな駅舎であった。キップは大橋まで買ってあったので改札から外には出ず、次の普通列車までの間に駅名板だけを収めた。
それにしても、この辺まで来ると4両編成の普通列車は、今宵は天神で遊ぶぞーという客でけっこう混雑している。いくつもの不自然な視線を感じつつ、恥ずかしながらも写真を撮りつづけた。
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大橋
その隣は大橋駅。大橋という姓は珍しくないが、大橋竜一郎の存在を知ったとき絶対にここを意識したなと思った。この大橋駅は桜咲駅のモデルになった可能性が極めて高い駅でもある。はじめての九州旅行の最後の夜。京都行きの夜行快速列車の発車時刻までの暇つぶしに西鉄電車に乗ってこの大橋駅で折り返した。折り返しのため駅舎の外に出てふらついたときに見た、高架駅の壁に旧西鉄マーク(西の字が車輪のように丸くなっている)と並んで掲げられた「大橋駅」という看板が闇夜になまめかしい赤色を放っていた景色が、《第1作》で桜咲駅を見たときに思い出された。
リフラブ2での桜咲駅の看板の一文字分の空白は、たしかに今の大橋駅のそれっぽい。CIによりマークを変更したときに「西」車輪も取り外されたのだ。
しかし桜咲駅と違うのは、まず出口側にはロータリーがなくタクシーが留められないこと、大橋駅の名店街は中二階構造になっていて、かつ予想以上に暗いことであった。この辺は作画の段階で修正されたのだろう。と勝手に納得しつつ(実際は反対口には大きなロータリーがある。この時は気づかなかった)、駅前のメガネの愛眼大橋駅前店に入り、矢加部駅でひん曲げためがねのフレームをタダで直してもらって(しかもタダで掃除までしてもらって)すっかりご機嫌気分になっていた。
後は隣の高宮だけを撮ればよい。そう思ったら急に腹が減ってきた。とにかくラーメンを食え、と朝から自分に刷り込んできたのでクッキングパパにも紹介されたと博多駅地下街の店に(実はそこらじゅうの支店に)貼ってあった名代ラーメン亭で遅い遅い昼飯を食うことにした。
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高宮
かたメンにね、と言ったのにかなり柔らかかったラーメンをたいらげ、再び福岡行き普通に乗る。次は高宮駅。高宮といえばもちろんリフラブ《第1作》のヒロインのひとり高宮祥子のこと。今回のリフラブ紀行の一応の最終地点だ。駅名板を撮ってから、さらに駅舎を念入りにチェックする。
西鉄の高架駅は福岡、薬院、平尾、高宮、大橋、宮の陣、久留米、矢加部、中島とあるが、桜咲駅っぽいのは大橋駅とこの高宮駅であった。ゲーム攻略本にデカデカと出ている地図によると桜咲駅は、複線に対向式ホームが2面あることになっており、高宮駅と同じなのだ(大橋駅は2面4線))。しかし高宮駅は西側にペデストリアンデッキがピッタリくっついているため様子が明らかに異なり、東側は駅舎の壁にモロに階段の基部が露出していてこちらも違う。
その他の候補福岡駅はデカ過ぎるし、薬院はデザインがぜんぜん違うし、平尾と宮の陣は盛土構造だし、矢加部と中島は言語道断なので、後は久留米駅が近いかもしれないのだが、こちらにはバス乗り場がピッタリとくっついているため様相が異なる。反対口も違うデザインだったので、結局は大橋駅が一番近い。とはいえ、桜咲駅の右側にはターミナルビルっぽい建物があるうえ、壁のデザインも途中から変わっている。大橋駅だけでは100点の解答ではないということだ。
一応の義務と言うか、スケジュールに追われつづけたリフラブ紀行も初日を終えたので、高宮駅から今夜の宿の薬院までのふた駅、歩いて行くことにした。道々不動産屋の物件をのぞき込んでいく。うわ、敷金が5ヶ月?え?でも礼金がない?そういえば緋色館の家賃っていくらぐらいなんだろう・・・。
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その後
ホテルにチェックイン後、サウナと展望風呂(地上13階にあるのだ!)をたっぷり時間をかけて味わい、いよいよ街へ繰り出そうとしたら原因不明の激しい頭痛に襲われた。強烈な嘔吐衝動とめまい、立っていられない。原因はたぶん矢加部タックルだろう。ベッドの上にうずくまり頭痛の収まるのを待つも、まったく快方の兆しもない。ゴソゴソと布団にもぐりこみ、一時仮眠をとる。幸い夜半には回復したので警固神社前の屋台で土曜コロッケを食い、とっとと寝てしまった。
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鉄ちゃん旅
一夜あけた2月7日、目覚めると頭痛は収まっていた。昨夜はホテルに帰った後に再び激しい頭痛に襲われ、ベッドに転がり込んで耐えながら寝ていたのだ。
今日はどこに行くかと言うと、リフラブ紀行は昨日のうちに終わった(大甘)ので、うわさに聞く丸星中華そばセンターのトンコツラーメンを食いに再び宮の陣を訪れるのだ。日吉丸なんかは早良区百道の付近にあるかもしれない(大甘)ので、その辺を久留米からの帰りに探った上で21時の飛行機で帰京するという予定である。
セントラルホテルフクオカから薬院駅まで歩いて行き、せっかくなので電車の写真でも撮りながら乗り継ぎ乗り継ぎで久留米に向かうことにする。
最初に走ってきたのは元特急用の2000形だ。こいつのデザインはあまりにもロボットっぽいので、こいつを合体変形ロボットとしたマンガを中学生の頃描いたことがあった(Webで公開は・・・できねぇよなぁ。つまんねぇし。内輪受けだし)。
次の電車は正面2枚窓の1000形。こいつはあと4両×4本しか残っていないという貴重品である。せっかくなのでこいつで隣の駅平尾に行く。そこからは西鉄の代表的な5000形やら新型の6050形やらを適当に撮りつつ乗りつつ久留米に到着した。
2000形
1000形
5000形
6050形
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大砲ラーメン
久留米駅では青い制服を着たステーションパルとかいう女性改札係員が2名、にこやかに立っていた。この紀行を書いている4月現在ではこの性差別的呼び名はまずかろう(女教師なんてもってのほか!)といったところだが、この日はまだ2月6日の昼下がりだ。そろそろ昼飯にしようと思い、やりうどんの前を通り過ぎて駅を出てラーメン屋を探す。久留米といえばトンコツラーメン発祥の地。これ食わずしてなんの久留米ぞ、などとひとり頭の中で盛りあがりつつ歩くも、見つからない!どぅおぅして見つからんのだ。しかたなく本屋で情報収集。と思ったら本屋も見つからんでわないか!
さすらいの末、妙にビラ配りのにいちゃんねえちゃんが多い一番街(久留米駅前のアーケード街の名称)とやらの中ほどでやっと本屋を見つけ、トンコツラーメンの情報誌を立ち読み、大砲ラーメンという有名そうなお店の情報をゲットしてレッツゴー。
店はナンとか見つかった。だが日曜日の昼下がりで混んでいた。幸いほとんど待たないで座ることができたがラーメン一杯が出てくるまでが結構かかった。オマケに入り口に大挙している待ち客を横目にゆっくり食べるわけにも行かず、替え玉も頼まないで店を出た。どうせ丸星中華そばセンターにも行って食うからよいのだ。
大砲ラーメンの肝心のお味のほうは・・・大変濃くってよござんす。東京のエセとんこつラーメン(本場九州とかいって麺からして違うやつ。ほとんどそう)など口にしたくなくなりますわ。ホンマ(なんで関西弁なのよ)。ラードの濃さが指定できるとはビックリでした。
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丸星中華そばセンター
大砲ラーメンからだと久留米と櫛原とどちらも同じ距離だし、一度来た道を戻るのはイヤなのだが、ここは急行の停まる久留米に戻ることにする。そして再び宮の陣駅にやってきた。
ここで目指す丸星中華そばセンターとは、なぜか我が悪友がそこで食ったというだけの他愛もない興味対象である。しかし雑誌にも載るほどであるので味のほうもいかがか、という味覚的興味対象にもなったわけだ。
筑後川沿いを国道3号線目指して歩いていく。国道3号線を福岡方面に歩くとやがて「祈る 安全運転」と書かれた黄色い看板が見えてくる。この丸星中華そばセンターは建物も看板も黄色、そして店の願いは安全運転なのだ。
昼飯時を過ぎていたのだが、入り口には列ができていた。その最後部に並ぶ。ラーメン一杯食うのに並ぶことに本質的ギャップを感じていたので、荻窪(東京都)のなんとか屋とか野方(のかたではありません。のがた;東京都)のなんとか軒とかには行ったことがなかった。しかしせっかく宮の陣まで来たことだし、油がまんべんなく床にひかれているというウワサ(もちろん、誇張)の店の雰囲気を味わうためにガマンすることにした。
店は自動券売機による食券制で、なによりラーメンが家内製手工業による大量生産だったのですぐに席に座れた。しかし問答無用でラーメンったらこれを食え、という雰囲気だったのでかたメンにしてもらうのはやめた。
それにしてもなんで警察犬なんだ?店内の壁には嘱託警察犬○○号の勇姿とかいう写真やら「オレはにおいの捜査官」とかいう警察犬を称える歌の歌詞やらが無秩序に貼ってある。店の主人の家で警察犬の委嘱を受けていたということか?安全運転との関係は?この辺に詳しいヒトの情報をいただきたいところだ。
帰り道は宮の陣団地の中を抜けて駅に戻る。店の近くに小森野というバス停があるので、久留米まで西鉄バスで帰ろうかとも思ったが、本数が意外に少ない(1時間に1本)ので諦めた。宮の陣駅舎と甘木線ワンマンカーの写真を数枚写して福岡に戻ることにする。
この後は道々、電車の写真を撮りながら福岡に戻った。
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舞鶴公園
なんだかんだ行ってボチボチ夕暮れ時だったので、とりあえず舞鶴公園にいって夕陽の写真を撮ることにした。リフラブ2にモロにその名が出ているが、あきらかに別の公園である。しかしこの本当の舞鶴公園は高台にあるし、きっと夕陽がきれいだろうと思えたので行ってみることにした。
舞鶴公園へは天神から西公園方面行き西鉄バスに乗ってすぐ。歩いてもいい距離だ。東京では使うアテのない西鉄のバスカードが大量に残っていたので、消費かたがたバスを利用した。天神から西公園へ向かうバスは日本野鳥の会の人にでも数えてもらいたいくらい、めったやたらと走っている。舞鶴公園の入り口に近い美術館前を通る系統のバスも走っているが、こちらは時間あたり6本ほどしか出ていないので、今回は利用しなかった。
西鉄バスの印象は、勢いよく突っ込んできてはドアを開け閉めしてとっとと出ていってしまう、そんな感じである。バスの放送はちょっと前までオバチャン声で「次は、大手門次は、大手門、です。」という感じであったが、今回乗ったバスは若いおねーちゃん声に変わっていた。
公園の梅は今が盛りだった。この舞鶴公園の西側には福岡の観光ガイドでも有名な大濠公園があるので、公園内は犬の散歩の近くの住民という感じの人たちがいるだけだった。高台に上ると南回りで福岡空港に着陸するルートを通る飛行機が、上空のかなり間近に見えた。
夕陽が沈むにはあと何十分かはかかりそうだったが、地元のおじしゃんが、君は大学生かといううれしい質問とか、あの山はなんとか山だとか、福岡市の財政が云々とか、長野オリンピックで儲けたのは西鉄からライオンズを買ったあいつだけだとかを話し掛けてくれたので退屈はしなかった。
それにしても・・・夕陽はきれいだった。いや、本当。
日も沈み撮影という第二目的が終了し、いつも行く親不孝通りの庄屋という串焼き屋でイモ焼酎を飲んで、それでも飲み足りなくて屋台で再びイモ焼酎を飲み干してから空港に向かった。飛行機に乗っちまえば福岡と東京はわずか1時間半の距離なのだ。
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再び
やられた!驚愕の事実は帰京後に襲ってきた。
まずはマリケン編のクライマックス。「大善寺万里子」がここで判明した。ただの老人、大善寺ハツだけなら犬塚氏もろとも忘れ去ってもよかったが、マリケンまで大善寺だとは…。
うっそぉ! ピンクの背表紙と3人娘のアップが本屋で私の勇気を試した「リフラブ2設定資料集」によると、砂緒さんが「五条砂緒」であることが発覚。はるかの「三沢」に対して数字の苗字とは・・・。《第1作》のなおさんの例もあったので完全に砂緒さんの苗字は考えなかった。
なにい? 舞鶴公園で怪獣のレポートをする「味坂」アナなる人物が登場。たしか味坂も1時間に2本しか電車が停まらないよなぁ。
おいおいおいおい! ドラマCD「この空をいつか見たように」で宮の陣・・・いやいや宮之陣のお相手「甘木梢」が鮮烈デビュー。甘木まで行けってのかよぉ・・・いじめだぜこりゃ。
ゲロゲロ! 薬院開ぃ?こんなチョイ悪党にずいぶんと立派な名前があるなんて…しかも、開?あそこ遠いよなぁ…
っかー、いやいや、これはもう一度福岡行くしかないかぁ? などと再び飲んだくれの夜が私を福岡へといざなうのであった。
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